時代を変える人はたいてい異端児だよね。
こんにちは。ブランディング・ライターの栗原貴子です。
7月10日の参院選投票日が近づいてまいりました。東京都民は三宅洋平氏の選挙フェスフィーバーが熱く盛り上がっておりますが、東京都知事選のことも考えなくてはならないようで、石田純一氏が立候補するのかどうかとか、もう、選挙の件で考えなくてはならないことが盛りだくさんです。
選挙や政治は私は専門外ですが、洋の東西を問わず「時代を変えた歴史的人物」はたいてい、その時代においても「異端児」であることがほとんどだなあ思うと、みるからにして異端そのものの三宅氏の存在に希望を感じます。
三宅氏のことを批判している人が書いたモノも目にします。彼が過去に問題ある人物を擁護したとか、そういう人の意見に賛成したとか。
それらを読んで感じたのは。
「辞職を余儀なくされたこれまでの政治家たちのしでかしたことに比べたら、どうってことないじゃん」
という感想でした。
これから「なろう」としている人なのだから、これまでに「政治家にふさわしい行動」(それがどんなものだか、私にはよくわからないけれど)を求められてもいないわけで。現役の政治家が「ふさわしくないこと」をするほうがよっぽど問題なのではなくて? と思うのです。
これからの人は「未知数」で当たり前です。
秘められた可能性に期待しているのです。
販促ツールを作る仕事をしていても「そうすることで、売れるんですよね?」みたいなことを言う方、たまにいらっしゃいます。残念ですが、それは未知数です。ただ、「売りやすくなる」ことは事実です。
現状では不満足だ→新しいツールを作り可能性を広げる
ということなのに。
どうして、未来のことを一方的に約束させたがるのでしょうか。
「絶対、結婚してくれるよね?」と彼氏に迫って振られる重い女みたいだなあと考えると、ただ安心したいだけなのだろうけれど。未来のことなんて誰にも分からないよ!
政治家の経験のない候補者が政治家にふさわしい人かどうか、なんて「今はまだ、分かりません!」。
大切なのは「変わろう」「変えよう」とする第一歩。その扉を開かなければ、その先には行かれない。ただ、それだけ。三宅氏は、その扉を率先して開き、邁進するという役を自分が負うと語っているのではないか、と私は感じています。扉の先には、おっかない怪物がいるよ、魑魅魍魎がうごめいているよってことが分かっているのにね。
歴史のターニングポイントになった人って、ほぼ全員、異端児です。異端児たちがつくってきた歴史の上に、私たちの「今」がある。
街頭演説が「フェス」なんてけしからん! って思っている人も多いようですが。もう10年くらい前から、曹洞宗大本山総持寺の「み霊祭り盆踊り」がフェス化しています。若者のハートをがっちりつかみ、ヤンキーのお兄様たちも多く参加しておりますが、露天のたこ焼きの食べかすをその辺に捨てようとした子に「おめー、寺でポイ捨てすんじゃねーよ。バチあたりがっ」と、強面のお兄様が注意をするなど、道徳心の育成にもなっている模様です。
新しい時代って、こういう風にやってくるものなのではないかな、って思います。
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